「最後に一目姿を見せてくれませんか。」
先日、祖母から手書きの手紙が届いた。
環境や心配な声が綴られた内容だった。
最後に一目、というのは祖母の先が短いからということではない。父親や周りの大人たちにもう会いたくなくても、せめて最後に私に姿を見せてほしいという。
俺が姿を消したいということにみんな気付いているのだろう。
でも本当はただ向き合えていないだけなのだ。自分の罪、受け取ってきた温もり、この先の自分の人生。
それらに対する思考と感情、どこにしまったっけなもう考えるのも嫌なんだ
手紙にはもうすぐ母親の命日だというこも書かれてあった。
こんなことまで俺は忘れてしまっていたのか。
明日、墓参りに行くと決めた。
2月18日
午前中に家を出た。墓参りのために久しぶりに地元へ帰る。
難波から南海電車に乗り換え。
ここからは音楽で耳を塞がず、周りの環境を耳にし、ただただ懐かしい風景を眺めながら向かおう。
難波から1時間、到着。懐かしい空気を吸い込む。同じ大阪でも空気の違いというやつは確かにある。
商業施設まで歩いて向かう。毎日のように通っていた道。
道が綺麗に整備されていたり、建物が売りに出されていたり、広くなった土地があったり。ここには何が建ってたっけな。
商業施設へ到着。散策しながら花屋へ向かう。
白い花が欲しいんです、お供え用に
でしたら──
何本か見繕ってもらい透明なビニールにだけ包み、そのまま手に持ち墓地へ徒歩で向かう。春を感じる陽気で少し汗ばんだ。
到着。数年前の記憶を頼りに母親の墓を探す。
墓参り終わりであろうご婦人とすれ違った。お互いにこんにちはと挨拶をし軽く会釈。この方は何を語ってきたのだろうか。
母親の墓を見つけた。花を供える、というよりもそのまま墓石に置いた。煙草に火を付ける。
俺が吸っている煙草の銘柄は母親が妹を身籠るまで吸っていたものと同じだ。残りの煙草を箱ごと置いてきた。
久しぶりに吸ってみたらどう?
空を眺めると15時前にも関わらず薄らと月が出ていた。
生前、母の日にボディーミルクなどのセットをプレゼントすると本当に、本当に嬉しそうにしていた母親の姿を思い出した。
まだ声も姿も記憶にあることに少し安堵すると同時に、もっと愛を返し寄り添えていたらと後悔する。俺が手を離し殺したも同然さ
飛び降りる数日前、母親が泣きながら俺を抱きしめてくれた日がある。俺は何と返したか覚えていない。そのままギターを背負い東京でのライブに向かった。
また来るわ、とだけ声を出し墓地を後にする。
誰にも会うことなく、手紙をくれた祖母にすら会うこともなく他の用を済ませ豊中へ帰る。畢竟意思の問題だ。
難波行きの電車を待つ。次の電車まで20分あった。
この駅で電車を待っている間、バイト終わりに一緒だった社員の人にあったかい缶コーヒーをよく買ってもらっていた。
和歌山へ向かう特急電車が通過した。デート終わりであろう中学生くらいの男女が笑いながら追っかけていた。
豊中へ着き、こんな日こそと飲みに出た。3軒回ったが、本当に話したかったことは何一つ話せなかった気がする。
数年ぶりの地元は変わっていないようで確かに少しずつ変わっていた。俺は変わっているようで何一つ変われていない。
2月19日
夜勤の仮眠時間でこれを書いている。
雨上がりの空気が気持ち良い。落ちる水滴の音を耳にする。
今日の雲は異様に流れが早い。